別に誰かに強制されたわけじゃない。マニュアルに書いてあったわけでもない。なんとなく、それが当たり前だと思っていた。
でもある日、ふと思った。「この人、本当に敬語で話しかけられることを望んでいるのかな?」
そこから気になり始めて、現場での経験を振り返ってみたら、思った以上に複雑な話になってしまった。今日はそのことを正直に書いてみようと思う。
—🔍 介護現場での「敬語」の実態
私が働く介護の現場では、高齢者への言葉づかいは基本的に「やわらかい普通語」、つまり「です・ます」調だ。丁寧すぎず、でも礼儀は守る。そのバランスで話しかけるのが暗黙のスタンダードになっている。
これは多くの介護現場で共通していると思う。研修でそう習うわけでも、就業規則に書いてあるわけでもない。でも「なんとなくそれが正しい」という空気が現場に流れている。
📖 なぜ高齢者に敬語が当たり前になったのか
日本には古くから「年長者を敬う」という文化がある。儒教的な価値観が根付いており、年上の人には丁寧に接するのが礼儀とされてきた。
介護という職業が生まれたとき、その文化がそのまま持ち込まれた。高齢者=人生の先輩=敬うべき存在。だから敬語。その図式が当然のように定着していった。
さらに介護の現場では「利用者の尊厳を守る」という理念が重視される。その尊厳を守る手段のひとつとして、敬語が位置づけられてきた歴史がある。
😤 正直、納得できない部分がある
ここからは個人的な本音を書く。
現場で働いていて気づいたことがある。敬語を喜ぶ人と、タメ口を喜ぶ人が、はっきり分かれる。
タメ口を喜んでいた人
表情が明らかに明るくなる。距離が縮まった感じがする。「友達みたいに話してくれると嬉しい」という雰囲気が伝わってくる。敬語で話しかけると、どこかよそよそしさを感じているようだった。
敬語を喜んでいた人
丁寧に話しかけると安心した表情になる。「きちんと扱ってもらえている」という感覚があるようだった。タメ口で話しかけると、わずかに表情が固くなることもあった。
つまり、「人によって全然違う」のだ。
これって本当に相手のためになっているのか。それとも「こうしておけば無難」という、こちら側の都合じゃないのか。
そう考えると、なんだか居心地が悪くなってくる。
もう一つ気になることがある。介護の現場では「子ども扱いはNG」と言われる。高齢者を子どものように話しかけることは尊厳を傷つけるとされている。それは正しいと思う。
でも、その人が本当に望んでいる言葉づかいを無視して「正しいとされる敬語」を押し付けることも、ある意味で相手の気持ちを無視していることにならないか。
—⚖️ 公平に考えると、敬語にも大切な意味がある
ここで一度、立場を変えて考えてみる。
敬語には「この人を大切にしています」というメッセージが込められている。特に認知症が進んでいる方や、自分の気持ちをうまく表現できない方にとって、丁寧な言葉づかいは安心感につながることがある。
また介護の現場は、利用者だけでなく家族も見ている。家族が「スタッフがきちんと接してくれている」と感じるためにも、一定の丁寧さは必要だという現実もある。
つまりここには、「個人の好みに合わせたコミュニケーション」と「場としての一定の礼儀・安心感」、両方の価値がある。どちらが正しいという話ではなく、バランスの問題だ。
ただ、それでも私が引っかかるのは、そのバランスが「考えた上で決まっているもの」ではなく、「なんとなく続いているもの」だという点だ。個人に合わせようとする意識すら、現場に生まれにくい空気がある。
—🌱 少しずつ変わってきていることもある
近年、介護の世界では「パーソン・センタード・ケア」という考え方が注目されている。その人の個性・歴史・好みを中心に置いた介護のあり方だ。言葉づかいもその一部として、個人に合わせて柔軟に対応しようという動きが生まれつつある。
これを動かしているのは制度ではなく、「本当にその人のためになる介護とは何か」を真剣に考える現場のスタッフたちの意識変化だ。
まだ全体に広まっているとは言えない。でも方向性は確実に変わってきている。
—✍️ 最後に:「なんとなく」より「考えて選ぶ」方がいい
敬語が正しくて、タメ口が間違い。そんな単純な話じゃないと思っている。
大切なのは、目の前にいるその人が何を望んでいるかを、ちゃんと考えようとすることじゃないか。
「なんとなく続けている」より「考えて選ぶ」。それだけで、介護の現場は少し変わると私は思っている。
あなたはどう思いますか?
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